古事記
古事記は、和銅五年(西暦712年)に稗田阿禮が誦むところの古事(ふること)を朝臣太野安萬侶が記したとされる、日本最古の記述書であり神話である。
古事記成立40年前の西暦672年には、古代史上最大の内乱、壬申の乱が起こっている。
この乱は、天智天皇崩御後、その長子大友皇子と天智天皇の弟大海人皇子との間に起こった皇位争いに端を発したもので、争いは1ヶ月にわたった。
結局、戦いは大友に対して反旗を翻した叔父に当たる大海人皇子側の勝利に終わり、大友は近江の宮で自害し、大海人は即位して天武天皇となり、飛鳥浄御原宮を建て、律令制の基を築いた。
稗田は天武天皇の近習で生まれつき聡明にして、一度聞いた事は違わず口に誦み忘れる事がなかった人らしい。
壬申の乱の後、大友側についたものたちは粛正され、おそらく地方の豪族たちの間でも相当の動揺が起こり、国は乱れ、秩序も乱れたに違いない。
朝廷内や各地の有力者の間に、ぶすぶすと煙を上げる乱後の燃え残りの火を鎮めるため、また、自らの皇位継承の正当性を決定つける為に、おそらく天武天皇は稗田にふることを読み習わせたのだと思う。
この時代、既に漢字は中国より入って来てはいるが、依然オーラルな大和言葉との擦り合わせが完全ではなく、文字に書き表す術は持っていなかった。
そこで、稗田は語り部として、臣下たちの集まる席で繰り返しこの読みならわしたふることを読誦する役を、天武帝によって担わされたと推測されるのである。
このふることが書き文字として表されるには、それより40年待たねばならなかった。
資料によると、稗田がふることを覚えたのが28歳、そしてそれが文字化されたのは40年後の68歳ということになる。
ふることが文字化される動機には、この稗田の年齢ということも大きな要因であったろうと思われる。
それ迄も、中国からわたって来たところの漢文を、変則的に大和言葉的に読み書きしようとする試みはなされて来ただろう。
漢字は3世紀の初め、応神天皇のころ既に朝鮮を経て論語と一緒にわたって来ている。
しかし、それから約500年の間漢字は筆写の対象ではあっても、記録をするためのテキストではなかった。
これより下る6世紀末から7世紀初頭、推古天皇の摂政であった聖徳太子(574〜622)が仏教にいたく傾倒し、607年に法隆寺を建てたと伝えられる。
そして太子は、法華経、維摩経、勝鬘経の注釈書「三強義疏」を著したとされる。。
おそらくこの書物は完璧な漢文体で著されているはずである。
当時、漢文はエリートたちの書き習わす、はっきり言ってしまえば仏教を勉強するための文字であったはずである。
漢字が大和言葉とすり合わされ、こなされ十分にオーラルな世界との接点を持って、書き言葉として使い心地よく昇華されるには聖徳太子からさらに100年を待たねばならない。
オーラルな大和言葉を漢字によって書き文字として著した、最大の功労者は太野安萬侶である。倉野憲司氏によれば『かくて安万侶は、古くから試みられた変則の漢字を、一層国語的表現になるよう苦心し、漢文の語序を破ったり、助詞や助動詞や敬譲語を表す文字を補ったりして、新しい変則の漢文を作り出したのである。」
仏教興隆の最大の拠点である法隆寺が焼き討ちにあい、聖徳太子の一門の人々と一緒に焼失したのが670年、その2年後には壬申の乱が起こっている。なんだかきな臭い。
この時代は、ふることに代表されるオーラルな神代の世界と、大陸から文字とともに入って来た仏教文化が激しくすり混ぜられ、新しい律令国家としての体制をなしていこうとする嵐のような過渡期であったといえよう。
私が、ここで感心するのは、当時の天皇を代表とする指導者たちが、仏教に帰依し、それを国家統一の大きな柱として組み入れていったにもかかわらず、自分たちのアイデンティティーである大和言葉を国の成り立ちの神話とともに普遍のものとして残したということである。
この後、日本は仏教とともに律令国家の体制を堅固なものとしつつ、自らのアイデンティティーを引き継いで、両者をすりあわせ統合し、新しい文化を創造するという実にすばらしいうねりを見せるのである。
言葉の面で見れば、太古からの「あいうえお」の発音がしっかり天界を映し出すものであったがゆえにこのような信じがたい止揚が可能なのだと思う。
このような、日本民族全体の文化の止揚はこの後も繰り返し歴史の上で起こっている。
明治維新しかり、第二次世界大戦後の再建しかり。
あいうえおについては、まだ蘊蓄を語りたいのだが、歴史的には秀真(ほつま)という真偽のまだ確定していない資料について言及しなければならなくなる。
また、フトマニというこれまた神代の占いについても語らなくては、真意が伝わらないので、また別の機会に述べたいと思う
明日からは、古事記の本文天地開闢の項と最近の量子力学「ひも理論」との近似について述べ、以降古事記の中で語られる糸や織り、植物についての部分を引用しながら考察を試みたいと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)










最近のコメント